2016年7月16日土曜日

「和食」って何だろう

昨年、ユネスコ無形文化遺産に登録されたことも手伝って、いまや、「和食」は日本にとどまらず、世界から注目されています。

健康の面からも注目されています。

そこで「和食」の歴史を簡単に見ていきます。

  
「和食」という言葉の成立は、西洋料理(洋食)の移入を契機とするもので、近代以降のことにすぎません。

広義には「日本人が作り出した日本にしかない料理」と定義することも可能で、寿司、テンプラ、スキヤキのほか、カレーライスやラーメンなども含まれます。
 
しかし狭義には、「ご飯に一汁三菜を基本とし、カツオやコンブの出汁を用いた伝統的な料理」ということになります。

狭義の「和食」であれば、その成立は室町時代(一五世紀頃)の本膳料理に求められるのです。
しかし、それ以前にも日本の上層社会で用いられていた料理の様式がありました。

記録に残るもっとも古い儀式料理は、平安時代の大饗料理で、これは料理の品数が偶数組みであるほか、台盤という食卓を用い、箸と匙が添えられるなど、中国料理の影響を強く受けています。

また調理技術は非常にシンプルで、銘々が口にする時に好みの調味料で味付けしていました。

それが鎌倉時代の精背理に至って、植物性食品を用いながら動物性食品のような味を出す工夫が重ねられたのです。

このため調理技術が高度な発展をみたが、これも僧侶たちが中国の禅宗寺院から学んだ料理であった。

それが書院造りや畳・床の間など、いわゆる日本的な伝統文化か発達した室町時代になって、大饗料理と精進料理の長所を、日本風にアレンジし、七五三の膳組という奇数を基本とする本膳料理が登場しました。

これがいわゆる「和食」の成立ということができるのです。

出汁のベースとなるコンプやカツオの流通も盛んとなったほか、味噌・醤油あるいは酒・酢などの発酵調味料の技術が発達して、日本独自の料理法が確立をみた。 
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さらに茶の湯の発達は、茶事用の食事として懐石料理を産みました。

これは質素を旨として、一汁三菜を理想としたため、本膳料理の一部を切り取りつつ、これを
最高の料理に仕立て上げたのです。

茶の湯には、一期一会という思想があり、どの茶会も一生に一度きりのものであるから、その出会いを大切にしたのです。
 
それぞれの季節で最高の旬の食材を用い、彩りを重視して器との相性や盛付に配慮し、料理の温度にまで気をつかうという「もてなしの心」が求められたのです。

さらに食事空間を、どのような書画や花器・花々で飾るかという「しつらえの心」も大切とされました。

こうして、懐石料理は、戦国期に「和食」の最高峰に達したのです。

ただ、これらの儀式料理までは、食べる人間や場所・時間が定められていました。

それが江戸時代に入ると、料理屋が登場し、いつでも誰でも金さえ出せば、茶の代わりに酒を伴う会席料理が味わえるようになったのです。

また醤油・酢・味醂といった発酵調味料の大量生産が始まり、これらが広く流通したことで、江戸時代に「和食」は、人々の身近な存在となっていったのです。


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