2015年6月1日月曜日

食材を増やすだけでも効果は十分

日本の食卓は、世界の食品を取り入れながら、進化を続けてきた。
 
日本の家庭では、ハンバーグやシチューといった洋食の隣に、ごく普通にキンピラゴボウやイモの煮っ転がしといった和風の常備菜が並ぶ。鮫子や酢豚といった中華料理、キムチやナムルの韓国料理も日常的に食べられている。

家庭の食卓に、これほどさまざまな国の料理が並ぶのは、世界でも日本だけといわれている。

外国のよいところを取り入れ、アレンジするのは、日本のお家芸だ。
 
自動車産業など、戦後日本の成長を支えた産業も、最初は外国の模倣から始まった。

これと同じく、日本のバラエティーに富んだ食卓にも、外国文化に対する柔軟な姿勢があったと
いえる。
 
食の多様化が一気に進んだのは、1960年代から70年代にかけてである。食材やレシピが増え、豊富になった食卓が、日本人の健康にいい影響を与えたのは間違いない。
 
60年代までの日本食はいわゆる粗食で、品数が少ないこと塩分が多いことが弱点だった。それを欧米食で補いながら、品数を豊富にしていったのだ。
 
それが功を奏し、50年代、アメリカ、フランス、イギリスなどの主要先進国中、最低だった日本の平均寿命は、70年代終わりに他国を抜き去り、世界一に躍り出ている。
 
しかし何事も、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」ではないだろうか?

80年代以降になると、今度は欧米化か進みすぎ、肉と油が過剰になってしまう。
飽食の時代を迎え、日本人の食卓は絶妙なバランスを崩し、悪化の一途をたどってゆくのだ。
 
今の日本人の食事は健康面から見て、相当ひどいところに来ていると言わざるをえない。

それは東北大の研究チームの行った実験と、さまざまな生活習慣病の増加が証明している。
 
80年代から外食産業が盛んになったことも、食生活の質を落としている。
 
人々は時間に追われ、手間のかかる家庭料理よりも、「早い、安い、うまい」をモットーにする、ファストフードやコンビニ食品、単品物のチェーン店などで食事を済ませることが増えた。
 
一昔前、サラリーマンの昼食といえば、愛妻弁当か町の大衆食堂が定番だった。

大衆食堂といっても、今の若い人には通じないかもしれない。焼き魚などのおかずと、ごはん、味噌汁、小鉢がお膳に載って出てくる、小さな食堂のことだ。たいていは家族経営で、ほっと落ち着ける庶民的な店が多かった。
 
しかし、情報化社会の中で時間に追われ、効率を求められる中で、食事の時間も削られて
しまった。
 
家族みんなでちやぶ台を囲んだり、大衆食堂で女将さんと世間話をしながら定食を食べたりするスタイルは、もはや映画の中の懐かしい場面でしかない。
 
牛丼やラーメンといった単品メニューを一人黙々とかき込む、家でもコンビニの惣菜やカップラーメンで済ませるといった現代の食事風景に、うそ寒さを感じてしまうのだ。
 
ファストフードやコンビニが大躍進する一方で、日本人の食のバランスは失われ、生活習慣病がはびこるようになったのだ。
 

しかし、60年の食事には、決定的な弱点がある。それは食材の種類が少なく、必要な栄養素が足りないということだ。また、塩分も多かったため血圧が高くなりがちで、脳溢血で亡くなる人が非常に多かった。
 
その後、高度経済成長期を経て、日本中に流通網が発達する。一般の家庭でも、日本各地
から、さまざまな品が手に入るようになり、食材の数が爆発的に増えた。
 
それによって弱点を克服した75年型の食事が、和食の最高峰だ。

しかし、80年代、90年代と時代が進むにつれ、朝はパンとベーコンなど欧米風の食事で簡単に済ませ、お昼は牛丼やラーメンなど、食材が少ない単品ものを食べることが多くなっていった。
 

75年頃は、女性は結婚したら家庭に入り、専業主婦になるのがまだ当たり前だった。食事の準備にかける時間も、今よりずっと良かったはずだ。
 
そう考えると、「スーパー和食」をそのまま再現することは、簡単ではないかもしれない。

しかし、その基本にある「食材の数を増やす」「少しずつ、いろんなものを食べる」という考えを取り入れれば、それだけで相当な効果が期待できるはずなのだが。


関連参照:
スーパー和食。調査方法
スーパー和食-3
素晴らしき発酵食
ビタミン・ミネラル活用事典
老化。焦げ・枯れ・錆びと
シニアからの栄養学
サルコペニア予防  

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