主食という概念が出てきたのは、人間が農耕を始めた時からです。
穀物を主食とする生活は社会の基盤を作ってきたという意味で重要なものです。
だが、主食を穀物で摂る、摂らないといけないと、いうのはある種の錯覚からきているのです。
それどころか、人体の生理的な特質を考えて見ると、人という動物は、穀物、特にGIの高い精製炭水化物を、主な食料とするような構造になってはいません。
生物にとって、命を支えるのに不可欠な機能には、それに支障が起こった場合に備えて、それを補完するような予備があるものです。
例えば、酸素と二酸化炭素を交換する重要機関である肺は左右二つあります。
血液中の要らない物を排出する腎臓もふたつあります。
どちらかひとつがダメになっても
もうひとつが健在ならばそれで生命を支えられるようになっているのです。
消化器官の場合でも、その一部がダメになっても、ほかの部分がその機能を補うようになります。
そのため、胃や腸の一部を切除しても、生命活動を維持できるわけです。
また、血糖値を下げるのではなく、血糖値を上げることに関しては人体にはさまざまなシステムが備えられており、ひとつがだめになってもほかが補完するようになっています。
これは、最低限の血糖値が確保されていないと細胞が機能障害を起こすからです。
このように、人にとって不可欠な機能に関しては、
それを補完するようなシステムが用意されているのです。
ところが、血糖値を下げるものとしては、唯一、インスリンがあるだけなのです。
つまり血糖値を下げて糖質をエネルギーとして利用することに関しては、それを補完するシステムが見当たらないということなのです。
糖質代謝にはインスリンの分泌が不可欠ですが、インスリンは膵臓のランゲルハンス島という部分に存在するβ細胞のみが分泌しており、このβ細胞がだめになればほかに予備はなく、すぐに糖質代謝は破綻してしまいます。
あまり頑健なシステムでないのに、その予備もないとすれば、もともと、糖質代謝のシステムそのものが、人体にとってそれほど重要なものではなかったと考えるのが自然でしょう。
つまり、人類は700万年の歴史のほとんどにおいて糖質に頼って生きておらず、
本来は、穀物を主な食料とするような動物ではなかったということなのです。
穀物を食べることが不可欠で、ましてそれが主食という感覚は単なる先入観であり幻想に過ぎないといえるのではないでしょうか。
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